結論 §
ガンダム00はある種の社会、戦争、本来あるべき大人の社会常識の「入門編」であると思っていましたが、最終的にその気持ちは裏付けられました。最後に沙慈が語ることは、「全ては終わった」ではなく、世界のことを知った今、他人事ではいられず、世界に対して向き合って真剣に考えねばならない、ということです。つまりは、「何でも知っている賢い僕」を卒業して、正解などあるはずもない矛盾した世界と人と社会に向かい合うことを始める土台を作る「入門編」です。
以上、本来的に重要な感想はこれで終わりです。
以下は余談。
酔えた §
戦闘シーンの演出、描写なども文句なく酔えます。そう言い切れる作品は、近年ではまず無いかも (まあ見てないアニメの方が圧倒的に多いので、断言はできませんが)。突出して優れた作品だったと思います。
SF §
最後に出た"The Childhood of Humankind Ends"は、明らかに"Childhood's End"(幼年期の終わり)を意識していますね。当然、これまで作中で示されていた別の何かと人類との接触があり得るわけで、それが劇場版ということなのでしょう。
エルガイムふたたび §
途中から主役メカが交代するパターンは、おそらくザブングル以降の定着でしょう。そのセオリー通り、ガンダム00も途中からエクシアからダブルオーに交代しています。たいていの場合、2号メカが主役のまま物語は終わります。この動きに強烈に逆らったのがエルガイムで、最終回で主人公は1号メカに乗り込んで決着を付けます。エルガイムで何が印象に残っているのかと言えば、ともかくこれです。
そして、最後の最後で刹那がエクシアに乗り込んでリボンズと決着を付ける……という展開は予想外に鮮烈で嬉しいものでした。オリジナル太陽炉を1基奪われた状態での反撃としても意外性のある良い構成です。
馬鹿の報酬 §
パトリック・コーラサワーは最初から最後まで馬鹿であったといえます。しかし、あまりに高度で難しく、リスキーな行動に出カティ・マネキン個人に対して最後まで忠実であった、という点ではとても価値があります。彼の無条件の支援無しで、マネキンは行動を貫徹できなかったはずです。そういう、単純な理屈では計り知れない人の価値を描いたことは、大きな価値だと思います。そして、きちんと彼が得た報酬も描かれたことも。
追記 §
しまった!
つまり「幼年期の終わり」は「入門編の終わり」だったのだ!
だから、この作品は最後の最後まで全体が整合していたのだ!
見事なり、水島精二監督。